まもなく開幕!オールスターゲームをもっと楽しむための基礎知識
夢の球宴、その系譜NPBオールスターゲームの歴史・伝説の一戦・歴代MVP
毎年7月、ペナントレースが折り返しを迎える頃にやってくる「夢の球宴」。セ・リーグとパ・リーグの精鋭たちが一堂に会するオールスターゲームは、公式戦とは異なる緊張感と遊び心が同居する特別な舞台だ。ファン投票で選ばれた主役たちが、普段は対戦することのない相手と真剣勝負を繰り広げる年に一度の祭典でもある。1951年の第1回開催から70年以上、そこには数々のドラマと記録が刻まれてきた。今回はその歴史の変遷から、今も語り継がれる伝説の一戦、そして歴代MVPの系譜までをじっくりと振り返っていきたい。
CHAPTER 011951年、2リーグ対抗の祭典が始まった
オールスターゲームの源流は、1リーグ時代の1937年から行われていた「職業野球東西対抗戦」にさかのぼる。本拠地別に東西でチームを分け、シーズン終了後に開催されていたこの対抗戦が、後のオールスターゲームの原型となった。
1950年にセントラル・リーグとパシフィック・リーグの2リーグ制が発足すると、翌1951年からはメジャーリーグベースボールにならい、両リーグ対抗方式・7月開催のオールスターゲームとして生まれ変わる。記念すべき第1回、7月に3試合が行われ、第1戦は全セ・別所毅彦(巨人)と全パ・江藤正(南海)の投げ合いとなり、1点を争う接戦を全セが制した。この第1戦の観客数は48,671人。これは現在に至るまでオールスターゲーム史上最多の入場者数として記録されている。第2戦では、投手・金田正一の代打に起用された中日・西沢道夫が逆転の2ラン本塁打を放ち、オールスター史上第1号本塁打の主となった。2連敗で迎えた第3戦、全パは飯田徳治(南海)の勝ち越し本塁打などで意地の初勝利を挙げ、幕を閉じている。
CHAPTER 02今も色褪せない、伝説のワンシーン
江夏豊「9者連続奪三振」(1971年7月17日・第1戦/西宮球場)
オールスターゲーム史上、最も語り継がれる記録がこれだろう。この年、前半戦は6勝9敗と負け越していた阪神・江夏豊が、ファン投票1位で先発マウンドへ。有藤通世(ロッテ)から加藤秀司(阪急)まで、3イニングに登板した全打者9人を三振に斬って取った。前年の第2戦で記録した5連続奪三振からの継続で、通算15者連続奪三振というオールスター記録も同時に打ち立てている(この記録は続く第3戦、南海・野村克也がバットを短く持って二塁ゴロに倒れたことでストップした)。この第1戦では、江夏に続いた投手陣がオールスター史上初の継投ノーヒットノーランも達成し、まさに伝説の一戦となった。
江川卓、あと一人だった9者連続(1984年7月24日・第3戦/ナゴヤ球場)
江夏の記録から13年後、あと一歩まで迫った男がいた。巨人・江川卓は4回途中から2番手で登板すると、福本豊(阪急)を皮切りに8者連続奪三振を記録。5人目に対戦した落合博満(ロッテ)は「速いよ。今の日本で一番速い。どうして公式戦で打たれるのかわからんよ」と唸ったという。9人目の打者・大石大二郎(近鉄)を2ストライクまで追い込みながら、最後はカーブをバットに当てられて二塁ゴロ。江夏の「9」には一人届かず、江夏の大記録は半世紀以上経った今も破られていないが、この日の力投は文句なしのMVPに選ばれている。
「ピッチャー、イチロー」に代打・高津(1996年7月21日・第2戦/東京ドーム)
9回表2死、全パが7対3とリードした場面。全パ・仰木彬監督は、右翼を守っていたイチロー(オリックス)を投手として登板させるという遊び心あふれる采配に出た。打席に入るはずだったのは6番・松井秀喜(巨人)。しかし全セ・野村克也監督は「オールスターは格式ある真剣勝負の場」という考えのもと、松井のプライドを守るために投手・高津臣吾(ヤクルト)を代打に送った。対戦の結果は遊ゴロ。投手イチローに軍配が上がったこの一戦は、ファンを楽しませたい仰木監督と祭典の権威を重んじた野村監督、二人の名将の野球観の違いが浮き彫りになった出来事として球界に語り継がれている。2015年にイチローがメジャーで実際に投手登板した際、この場面が改めて話題になった。
掛布雅之、甲子園ではない後楽園での3打席連続弾(1978年・第3戦)
当時23歳の阪神・掛布雅之が、佐伯和司(日本ハム)、佐藤義則(阪急)、山口高志(阪急)という当代屈指の投手陣から3打席連続本塁打を記録。この一戦が「ミスタータイガース」への足掛かりとなった。掛布はその後も1981年、1982年とMVPを獲得し、阪神史上最多となる通算3回のMVPを手にしている。
新庄剛志のホームスチール(2004年・第2戦)
球界再編問題で1リーグ制移行が取り沙汰されていた渦中、日本ハム・新庄剛志が本盗を成功させ「これからはパ・リーグです!」とヒーローインタビューで絶叫。パ・リーグ存続を願うファンの心を掴んだ名場面として記憶されている。新庄は阪神時代の1999年にもMVPを受賞しており、通算2回の受賞者だ。
大谷翔平、二刀流の原点となった一日(2016年・第2戦)
横浜スタジアムで行われた第2戦、日本ハム時代の大谷翔平が5番DHで出場し4打数3安打2打点、オールスター初本塁打を記録してMVPに輝いた。同年のホームランダービーでも優勝しており、投打にわたる規格外の存在感を見せつけたシリーズとして記憶されている。
王貞治、通算10号本塁打の金字塔(1979年・第1戦)
セ・パ2リーグ分立30周年の節目に行われたこの年、多くの新記録が誕生した。第1戦では巨人・王貞治が単独トップとなる通算10号本塁打を放ち、第2戦では阪急・山田久志が歴代トップの通算6勝目を記録。第3戦では1試合として最多となる計8本塁打が飛び出すなど、記念の年にふさわしい打撃戦が繰り広げられた。王はこの年に自身3度目のMVPも受賞している。
清原和博、聖地・甲子園を再び沸かせる(1987年・第3戦)
PL学園時代に甲子園で名を馳せた清原和博(西武)が、同じくPL学園出身で全国制覇をともにした桑田真澄(巨人)から左翼席へ本塁打を放った一戦。高校時代の聖地で好敵手からアーチをかけるという劇的な巡り合わせが話題を呼んだ。清原はこの試合でもMVPを獲得している。
CHAPTER 03歴代MVP、最多受賞は清原和博
オールスターのMVPは、その選手のキャリアを象徴する勲章のひとつだ。歴代最多受賞を誇るのは、通算7回に輝いた清原和博(西武5回・巨人2回)。1986年、PL学園から西武に入団したルーキーイヤーの第2戦で、当時史上最年少となる18歳11カ月で初受賞を果たしている。
| 受賞回数 | 選手名 | 備考 |
|---|---|---|
| 7回 | 清原和博 | 西武5回・巨人2回/歴代最多 |
| 3回 | 王貞治 | 1963・1977・1979年 |
| 3回 | 松井秀喜 | 1995・1998・1999年 |
| 3回 | 張本勲 | 東映・日拓・日本ハム時代に受賞 |
| 3回 | 掛布雅之 | 1978・1981・1982年/阪神最多 |
| 2回 | 江夏豊 | 1970・1971年 |
| 2回 | 新庄剛志 | 阪神・日本ハム時代に1回ずつ |
一方で意外な記録もある。王貞治とともに「ON砲」を形成した長嶋茂雄は、オールスター通算打率.313という好成績を残しながらMVP受賞は一度もない。またイチローは通算7回連続出場し、驚異の通算打率.394(71打数28安打)を記録しているが、こちらもMVPには縁がなかった。数字だけでは測れない「その日の主役」を選ぶ難しさと面白さが、この賞にはある。
球団別のMVP受賞数を見ると、最多は巨人の24回。王貞治・松井秀喜がともに3回ずつ受賞しているほか、阿部慎之助も2回受賞している。2位は南海からソフトバンクへと続く福岡の球団で20回。3位は西武で19回、うち5回が清原和博によるものだ。4位の阪神は17回で、掛布雅之と江夏豊という「ミスター・タイガース」世代が名を連ねる。人気球団ほど選出機会に恵まれる面はあるが、それでも記録として名を刻むには実際にその日の主役になる必要がある。ここにオールスターならではの一発勝負の魅力が凝縮されている。
CHAPTER 042025年、球宴の主役たち
直近の「マイナビオールスターゲーム2025」では、第1戦(京セラドーム大阪)で全パが5対1で快勝。二回に周東佑京(ソフトバンク)の適時打で先制すると、三回にはオリックス・頓宮裕真が3ラン本塁打を放って試合を決定づけ、初のMVPを獲得した。お立ち台では自身の決め台詞「ホイサー」をファンとともに絶叫し、一体感のあるパフォーマンスで球場を沸かせている。
続く第2戦(横浜スタジアム)は全パが10対7の乱打戦を制し2連勝。ソロ本塁打を含む3安打2打点と活躍した日本ハム・清宮幸太郎が、2022年の初出場初MVPに続いて2度目の受賞を果たした。試合前のホームランダービーではDeNA・牧秀悟に敗れたものの、「試合で取り返したい」という言葉どおりの結果を出し、「2回出場して2回MVPを獲れるなんてめったにない」と喜びを語っている。この2連勝により、通算対戦成績はパ・リーグの93勝81敗11分となった。
江夏の9者連続奪三振から半世紀以上、オールスターゲームは時代ごとの主役を生み出しながら、ファンにとって「夢の続き」を見せてくれる舞台であり続けている。ペナントレースの成績とは別の一発勝負だからこそ生まれるドラマがあり、それこそがこの祭典が70年以上にわたり愛され続けている理由だろう。今年もまた、新たな伝説がここに刻まれるはずだ。
CHAPTER 05知っておきたい、球宴ならではのルール
オールスターゲームには、公式戦にはない独自のルールがいくつか存在する。まず投手の登板イニングは原則3回までと定められており、江夏の9者連続奪三振がこの制限の中で生まれた記録であることは前述のとおりだ。短いイニングで結果を出さなければならないからこそ、投手は序盤から全力投球で挑むことになり、それが数々の伝説的な投球につながってきた。
また、ファン投票で選出された選手は原則として出場を辞退できない。辞退した場合は野球協約86条により、後半戦開始から10試合の選手登録ができなくなるという規定がある。かつては顕著な傷病による欠場であればコミッショナーの判断で登録停止期間を短縮できる制度もあったが、明確な適用基準がなく悪用の恐れがあるとして2006年に廃止された。ファンに選ばれた誇りと同時に、それに応える責任も伴う。この緊張感もまた、オールスターゲームを単なる「お祭り」以上のものにしている要素と言えるだろう。
ファン投票の方法自体も時代とともに変化してきた。1951年・1952年は市販のはがきに18名を連記して郵送するという投票方法だったが、現在はNPB公式サイトでのインターネット投票が主流となっている。年によってはSNSやニュースアプリでの投票も併用されるなど、ファンが選手を後押しする手段は年々広がりを見せている。2004年からは、実際にシーズンで活躍している選手を対象とするため、打者は10試合以上または20打席以上、投手は5試合以上または10投球回以上という出場実績の条件も設けられた。
CHAPTER 062026年、東京と富山で紡がれる新たな一日
「マイナビオールスターゲーム2026」は、第1戦が7月28日(火)東京ドーム、第2戦が7月29日(水)富山市民球場(アルペンスタジアム)で開催される(予備日は7月30日)。第1戦の東京ドーム開催は2019年以来7年ぶり、第2戦の富山開催に至っては1996年以来じつに30年ぶりとなる。奇しくも、この記事で紹介した「ピッチャー、イチロー」の一戦が行われたのも同じ1996年。あの年から30年の時を経て、北陸の地に再びオールスターの舞台が巡ってくる。今回の富山開催には、能登半島地震からの復興支援という意味合いも込められている。
指揮を執るのは、セ・リーグが前年優勝の阪神を率いた藤川球児監督、パ・リーグが福岡ソフトバンクの小久保裕紀監督。ファン投票・選手間投票・監督選抜という幾重もの選考を経て、その年を象徴する顔ぶれが東京と富山のグラウンドに立つ。江夏の9者連続奪三振も、清原の最年少MVPも、はじまりは一人のファン投票、一つの采配だった。2026年のこの2試合にも、後年まで語り継がれる新たな一場面が生まれているはずだ。
1951年の第1回から70年以上、オールスターゲームは記録と記憶を積み重ねながら、その時代ごとのスター選手たちの晴れ舞台であり続けてきた。江夏の伝説的な奪三振、掛布や清原が刻んだ本塁打、そして仰木・野村両監督の哲学がぶつかった一夜。どの一戦も、ペナントレースとは違う一発勝負だからこそ生まれたドラマだ。7月の東京ドームと富山、今年もまた新しい伝説の一ページが刻まれる瞬間を、見届けたい。