あのバットはどうなった?〜トルピードバットの現在地〜
トルピードバットは
どうなった?
The torpedo bat — one year later
2026.05 | Bāalls Column
2025年3月末、ニューヨーク・ヤンキースが1試合9本塁打を記録し、野球界を驚かせた。そのとき話題の中心にあった「トルピードバット」。あれから1年以上が経過したいま、あのバットはどこに消えたのか、それともいまも現場に残っているのか。答えを追った。
あの日、何が起きたのか
2025年3月29日、ヤンキースはミルウォーキー・ブルワーズを相手に20対9で勝利し、1試合9本塁打というフランチャイズ記録を樹立した。シリーズ3試合合計では15本塁打。野球ファンの目を引いたのは打者たちが握るバットの形状だった。
通常のバットとは明らかに異なる、先端が細くなったボウリングのピンのような形——それが「トルピードバット(torpedo bat)」だ。
バレル(打球部)の最太部を先端ではなくスイートスポット付近に集中させた木製バット。先端に向かって細くなる形状がトルピード(魚雷)の名の由来。MLBの規定(直径2.61インチ以下・長さ42インチ以下・一体成形の木製)をすべて満たしており、使用は合法。
このバットを考案したのは、MITで物理学の博士号を取得し、ミシガン大学で7年間教鞭を執った後に野球界へ転身したアーロン・リーンハート(Aaron Leanhardt)氏だ。ヤンキースのマイナーリーグ担当として打撃改善に取り組む中で、打者たちとの会話から着想を得た。
「ひらめいた瞬間は、打者たちがボールを当てようとしている場所を指差したときだった。彼ら自身が気づいていた——バットの一番太い部分がそこにないことを。じゃあひっくり返そう、と。見た目はおかしいけど、やってみようと動いてくれた選手たちのおかげだ」
ヤンキース在籍時の2022年頃から開発を開始し、2024年にMLBアナリストに昇格した後、現場の選手たちへ実際に提供していた。2025年の開幕シリーズは、その試みが表舞台に躍り出た瞬間だった。
旋風からブームへ、そしてブームは収まった
リーンハート氏がヤンキース内部で極秘開発。一部の選手が試験的に使用。
ヤンキースが1試合9本塁打を記録。トルピードバットが世界的な注目を集める。
複数のMLBチームへ急速に普及。需要がメーカーの供給を大幅に上回り、品薄状態が続く。
MLBが「実験的バット」の分類を外し、正式な標準設計として認定。
話題は急速に冷却。一部の選手は継続使用するが、以前ほどの熱狂はなくなる。禁止の動きもなし。
ブームが一気に拡がった2025年春、各チームはメーカーへの発注を急いだが、供給が間に合わなかった。サンフランシスコ・ジャイアンツのタイラー・フィッツジェラルド選手はルイスビルスラッガーから2本を受け取り、1本をチームメイトのパトリック・ベイリー選手に譲った。しかし2本とも同じイニングで折れてしまい、それ以降は入手できなかったという。
フィッツジェラルド選手は2026年春季キャンプで記者に「まだトルピードバットを使っているか」と聞かれ、「地球から消えてしまった(They fell off the face of the earth)」と冗談交じりに答えた。「今春は1本も見ていない。2本折れてそれっきりだ」とも語っており、打撃不振の中で「また試すかもしれないけど、クラブハウスで見つからないだろうな」と話している。「あのトレンドはもう終わりかな」——それが2026年春のジャイアンツの空気感だった。
科学が出した答え
ブームが落ち着いた2026年4月、ワシントン州立大学(WSU)スポーツ科学研究室のロイド・スミス教授、イリノイ大学名誉教授のアラン・ネイサン氏、ペンシルバニア州立大学のダニエル・ラッセル氏の研究チームが、史上初のトルピードバット実験結果を発表した。
研究チームのネイサン名誉教授は「最初の2〜3週間はものすごい注目を集めたが、その後は一般の関心が消えた。私の関心だけは消えなかった」と振り返っている。
結論として、トルピードバットはホームランを増やす魔法の道具ではない。ただし、スイートスポットが手元寄りにある分、「インサイドに来た球を打ちやすい」という特性は実在する。特定のスイングタイプを持つ打者にとっては、コンタクト率の向上につながる可能性がある——それが科学的に実証された効果の実態だ。
飛距離・打球速度は標準バットと同等。スイートスポットが約半インチ(約1.3cm)手前に位置するため、インコース打ちに向いている可能性あり。「バットが打者を変える」のではなく「バットが特定の打者に合う」という個人差の話。
現在のMLBでの立ち位置
2026年現在、MLBにおけるトルピードバットの法的地位は変わっていない。既存の規定(一体成形の木製・直径2.61インチ以下・長さ42インチ以下)を満たす限り、使用は完全に合法だ。「禁止すべき」という声も一部のフロントオフィス関係者から出たが、MLB規則委員会への正式な提案は2026年初頭時点でゼロ件。
一部の選手は引き続き使用している。ジャイアンツのキャッチャー、ローガン・ポーター選手は従来とは少し形状が異なる「控えめな(discreet)」モデルを好んで使い続けているという。感触が合う選手にとっては、今後も選択肢のひとつであり続ける。
日本(NPB)での広がりと現実
MLBでの旋風はすぐに日本球界にも伝わった。NPBでは当初、このバットが公認野球規則上どう扱われるかが焦点となった。規則上は「滑らかで丸い一体成形の木製バット、最太部の直径67mm(2.61インチ)以下、長さ106.7cm(42インチ)以下」と定められており、形状に関する追加規定はない。
NPBは規則の解釈を整理した上で、2025年4月11日、公式戦でのトルピードバット使用を正式に認めた。同日、アマチュア野球規則委員会(全日本野球協会)も「BFJマーク表示基準に適合するバットについては問題ない」との通知を各加盟団体に発出し、社会人・大学・高校野球での公式戦使用も認められる形となった。
中でも注目を集めたのが清宮幸太郎選手の使用例だ。5月6日のオリックス戦から初めて手にすると、いきなり本塁打を含む2安打3打点をマーク。「ヘッドの入りがいい」と好感触を語っていた。しかし10日も経たないうちに「ボールが飛ばない」と元のバットへ戻した。
「ヘッドの入りがいい」——しかし約10日後、「ボールが飛ばない」と元のバットへ。
清宮選手のケースはMLBでの知見を裏付けるものでもある。「ヘッドが入りやすい=コンタクトしやすい」という感触は本物でも、重心が手元寄りになる分、遠心力を使って飛距離を出すタイプのスイングとは相性が悪い。スイートスポットが手前に移動することで外角の球に対しては不利になるケースもある。
2025年4月11日に公式戦解禁。同日、社会人・大学・高校野球でも合法と確認。複数の選手が試したが、継続使用に至らなかったケースも多い。MLBと同様に「試してみた道具」の域を出ず、NPB全体の打撃スタイルを変えるには至っていない。2026年シーズンについては、NPBでトルピードバットを使用しているという報道は現時点で確認できておらず、話題としてはひとまず落ち着いた状態にある。
1試合9本塁打という衝撃的な数字に、世界中が「これは革命だ」と色めき立った。だが科学が示したのは「木は木だ」というシンプルな事実だった。それでも打者との対話から生まれた道具の発想は、間違いなく本物だった。
2026年のMLBでは、トルピードバットはもはやニュースにならない。禁止もされず、熱狂もなく、ただ道具棚の一角に静かに存在している。NPBでも2025年シーズンに複数の選手が試したが、継続使用の波は広がらなかった。「感触はいい、でも合わない」——その正直な声が、このバットの実態を一番よく表している。
グローブと同じように、バットも最終的には「その選手に合うかどうか」の話だ。データや物理学が示せるのは可能性の範囲であって、答えは常に打者の手の中にある。
道具を選ぶ目を持つことは、野球を楽しむ上でも、グラブを選ぶ上でも、きっと変わらない価値がある。