Matsui, No. 90: Back with the Giants

巨人・新監督就任

松井秀喜、
背番号90で
古巣に戻る

2026年10月23日、巨人は球団OBの松井秀喜氏が来季から監督に就任すると発表しました。現役時代の「55」ではなく、恩師・長嶋茂雄さんにつながる「90」を背負います。

巨人新監督・松井秀喜氏のイメージ
※画像はイメージです

発表の概要

  • 発表日10月23日
  • 年齢52歳
  • 背番号90
  • 契約期間3年

松井氏は東京都内で記者会見に臨み、就任の決意を語りました。会見では「新たな黄金時代」という言葉を使い、就任のこの日からスタートを切りたいという思いを示しています。

報道によると、シーズン終了後に球団から就任要請を受けたとのことです。その時の気持ちについて、松井氏は「どこにいても心の中にジャイアンツがあった」と振り返りました。

10月30日には川崎市のジャイアンツ球場で監督として始動しました。この日、巨人は来季のコーチングスタッフも発表しています。

「ゴジラ」誕生と、語り継がれる高校時代

松井監督といえば、誰もが思い浮かべるのが「ゴジラ」の愛称です。名付け親は、当時高校野球を担当していた日刊スポーツの赤星美佐子記者でした。

赤星記者が松井選手を初めて取材したのは、高校1年の秋に石川で開かれた国体でした。試合では打席で投手をにらみ、強烈な打球を飛ばす。ところが試合後のインタビューでは、帽子をとって笑顔で丁寧に答えます。大きな体格に似合わない小さな歯並びと八重歯、汗が流れるニキビ面を見て、伝説の怪獣の顔が重なったそうです。

紙面で初めて「ゴジラ」と表現したのは、1992年のセンバツ大会でした。開幕前日の練習でのフリー打撃を見て記事にし、翌日の開幕試合では2打席連続の本塁打。「ゴジラが火を噴いた!」と描写され、この愛称が全国に広まっていきます。

当の松井選手は、最初のうちは「なんで怪獣なの?」と不満だったと伝えられています。高校2年の秋に選ばれたオールジャパンのチームでは、すでに「怪獣」というあだ名で呼ばれていたそうです。それでも、街を歩いていて子どもたちから「あっ、ゴジラがいるぞ!」と声をかけられたことで、愛称を快く受け入れられるようになりました。メジャーへ渡ってからも、この愛称はヤンキースのファンに親しまれています。

甲子園、5打席連続敬遠

  • 試合日1992年8月16日
  • 大会夏の甲子園 2回戦
  • 結果明徳義塾3-2星稜
  • 松井の打席5打席すべて敬遠

高校時代の逸話として今も語り継がれているのが、1992年夏の甲子園、第74回全国高校野球選手権の2回戦です。高知の明徳義塾が、石川の星稜の4番・松井秀喜選手を、この試合の全5打席で敬遠しました。

勝負を避ける策を指示したのは、明徳義塾の馬淵史郎監督です。馬淵監督は試合後、この作戦が自分の指示だったことを認めました。松井選手を「高校生の中にプロが1人混じっているような選手」と評したうえで、県の代表として1つでも多く勝たせたかったと説明しています。

試合は1点を争う展開でした。星稜が1点を追う9回、2死三塁で5打席目が回ってきましたが、ここでも敬遠。松井選手は最後までバットを振ることができませんでした。5打席目の敬遠のあとには、スタンドからメガホンなどがグラウンドに投げ込まれ、球場は一時騒然としました。スコアは2対3、星稜は敗れ、松井選手の高校最後の夏は終わりました。

この出来事は高校野球の枠を超えて大きな議論を呼び、今でも「あの夏」として語られます。それだけ、当時の松井選手が相手に恐れられていたことを物語る一戦でもありました。

地元・石川での、ちょっと意外なエピソード

石川県根上町(現・能美市)出身の松井監督には、地元にまつわる意外な話も伝えられています。子どもから学生の頃に、石川県内の和菓子店へ客としてよく菓子を買いに通っていた、というものです。

その店で暮らしていたのが、福田和子という女性でした。1982年に起きた松山ホステス殺害事件の犯人として、偽名や整形手術を重ねながら約15年にわたって逃亡を続けた人物です。福田は1997年7月29日、福井市内で逮捕されました。殺人罪の公訴時効が成立する21日前のことでした。

逮捕後のインタビューで、松井監督は当時の印象を、きれいな奥さんだったという趣旨で語ったと伝えられています。野球とは関係のない話ですが、地元で育った松井監督の少年時代の一場面として知られています。

長嶋監督との「4番1000日計画」

松井監督と長嶋茂雄さんの縁は、1992年のドラフト会議から始まりました。4球団が競合した松井選手の交渉権を、当時の巨人監督だった長嶋さんが引き当てたのです。

  • 提唱長嶋茂雄監督
  • 計画名4番1000日計画
  • 期間約3年
  • 指導法二人きりの素振り

長嶋さんが打ち出したのが、「4番1000日計画」です。入団直後の松井選手を、約3年かけて巨人の4番にふさわしい打者に育てる、という壮大なプランでした。

指導の中心は、マンツーマンの素振りです。本拠地ではミーティングルームや監督室、遠征先ではホテルの一室に呼び、ときには長嶋さんの自宅に招くこともあったと伝えられています。一軍の打撃コーチだった淡口憲治氏も、たびたび立ち会っていました。

ミーティングルームを真っ暗にして、スイングの音だけで確かめることもありました。当時のチーフスコアラーだった三井康浩氏は、ミーティング前の1時間、暗闇で松井選手と二人きりで素振りをしている姿を見たそうです。ある時は長嶋さんから「お前も来て、音を聞いておけ」と声をかけられたとも語っています。

「とにかく振らなきゃダメ」 松井監督が、長嶋さんの指導を振り返った言葉(日刊スポーツの報道より)

松井監督は、振って、振って、振って覚えろという指導だったと振り返っています。助言はあったものの、最後は自分でつかまなければいけない、という教えでした。

計画が結実したのが、入団4年目の1996年です。全試合で4番に座り、打率.314、38本塁打、99打点をマークして、セ・リーグMVPに輝きました。2000年には42本塁打、108打点で再び二冠王となり、長嶋さんは、もう巨人だけでなく「日本球界の主力打者」だと称えています。

現役を引退した2012年の会見で、20年間のプロ生活で最も印象に残っている場面を聞かれた松井監督は、「長嶋監督と素振りしたこと」と答えました。恩師との千日の稽古は、今も野球人としての原点になっています。

海を越えた「電話越しの素振り」

日本を離れてからも、師弟のつながりは続きました。ファンの間でよく知られているのが、ヤンキース時代の電話越しの素振りのエピソードです。

長嶋さんが何より大切にしていたのは、スイングで空気を切る音でした。松井監督は「ブン」という低い音ではなく、「ピュッ」という高い音がいいと言われ続けたものの、最初のうちはよくわからなかったと振り返っています。

長嶋一茂さんがテレビ番組で語ったところによると、松井選手が不調のとき、国際電話で相談を持ちかけました。長嶋さんは「振ってみろ」と言い、電話口でバットの音に耳を澄ませます。そして、ある瞬間に「よし!いまの音だ!」と言って電話を切ったそうです。翌日、松井選手はホームランを2、3本打った、という話です。

ただ、当の松井監督は、2025年12月放送のフジテレビ系「プロ野球珍プレー好プレー大賞2025」でこの話に触れ、「本当に聞こえていたんですかね?」と語りました。今でも疑問に思っているそうです。

細部は語る人によって違いますが、バットを振る音ひとつで状態を見抜こうとした長嶋さんと、それに応えた松井選手。師弟のつながりを象徴する逸話として、今も語り継がれています。

ヘッドコーチは高橋由伸氏

来季のコーチングスタッフ発表で、ヘッドコーチに元監督の高橋由伸氏が就任することが明らかになりました。2018年に監督を退任して以来、8年ぶりの球団復帰です。監督経験者が同じ球団でヘッドコーチを務めるのは異例とされています。

  • 発表日10月30日
  • 役職ヘッドコーチ
  • 入団1997年ドラフト1位
  • 現役引退2015年限り

高橋氏は桐蔭学園高校、慶應義塾大学を経て巨人に入団し、ゴールデン・グラブ賞を7回、ベストナインを2回獲得しました。

松井氏とは1998年から5年間ともにプレーし、主に「3番・高橋、4番・松井」の並びで2000年と2002年の日本一に貢献しています。1軍の打撃チーフコーチには、同じ2000年・2002年の日本一メンバーである清水隆行氏が11年ぶりに復帰します。

背番号「90」に込められたもの

現役時代の背番号は55でした。今回選んだ90は、長嶋茂雄さんが初めて巨人の監督に就任したときに着けていた番号です。

松井氏は会見で、長嶋さんが90歳になる年に90番を背負うという意味もあると説明しました。その長嶋さんは2025年に亡くなっています。

恩師の長嶋さんにもこの姿を見てほしかったという気持ちは、正直あったと語りました。 会見での発言の要旨(FNN報道より)

そのうえで、今は前を向いて、ジャイアンツの力になりたいという姿勢を示しています。師弟でつないできた野球が、監督という立場で新しい形になります。

一方で、長嶋さんの監督像から何を見習いたいかと問われた場面では、きっぱりとこう答えました。

「私は長嶋茂雄にはなれません」 就任会見での発言(スポニチ・中日スポーツ・スポーティングニュース日本版の報道より)

続けて、長嶋さんは長嶋さん、自分は自分にできることに集中したい、という趣旨の話をしています。長嶋さんとヤンキース時代のトーリ監督、2人の良さは自分の中に入っているとも語り、これから大事にしていきたいとしました。恩師への敬意と、自分らしい指揮の両方を口にした会見でした。

選手・松井秀喜の実績

1974年6月12日、石川県生まれ。星稜高校から1992年のドラフト1位で巨人に入団し、1993年にプロ入りしました。「ゴジラ」の愛称で親しまれ、日米通算で507本塁打を記録しています。

巨人時代(1993〜2002年)

試合
1268
打率
.304
安打
1390
本塁打
332
打点
889
タイトル
MVP 3回

NPBでのタイトルは、首位打者が2001年の1回、本塁打王と打点王がともに1998年・2000年・2002年の3回です。セ・リーグMVPは1996年、2000年、2002年に受賞しました。

メジャーリーグ(2003〜2012年)

試合
1236
打率
.282
安打
1253
本塁打
175
打点
760
日米通算本塁打
507

ヤンキースに移籍した2003年からメジャーでプレーしました。2009年のワールドシリーズでは打率.615、3本塁打、8打点の活躍で、日本人選手として初めてシリーズMVPに選ばれています。

2012年限りで現役を引退し、2013年に国民栄誉賞を受賞。2018年には野球殿堂入りを果たしました。

2027年コーチングスタッフの全容

10月30日に発表されたスタッフは次のとおりです。1軍の打撃コーチと3軍の内野守備走塁コーチは、発表時点では未定でした。

1軍

監督
松井秀喜
ヘッドコーチ
高橋由伸
打撃チーフコーチ
清水隆行
打撃コーチ
未定
ディフェンスチーフコーチ
川相昌弘
内野守備走塁コーチ
吉川大幾
外野守備走塁コーチ
亀井善行
投手チーフコーチ
杉内俊哉
投手コーチ
内海哲也
バッテリーチーフコーチ
村田善則

2軍

監督
会田有志
打撃チーフコーチ
金城龍彦
打撃コーチ
ゼラス・ウィーラー
内野守備走塁コーチ
脇谷亮太
外野守備走塁コーチ
鈴木尚広
投手チーフコーチ
野上亮磨
投手コーチ
古川祐樹
バッテリーコーチ
田口昌徳

3軍

監督
高木康成
打撃コーチ
大田泰示
内野守備走塁コーチ
未定
外野守備走塁コーチ
立岡宗一郎
投手チーフコーチ
大竹寛
投手コーチ
西村健太朗
バッテリーコーチ
市川友也

巡回

巡回打撃コーチ
石井琢朗
巡回投手コーチ
久保康生

配置転換では、石井琢朗氏が2軍監督から巡回打撃コーチに回り、2軍監督には会田有志氏が就きます。今季途中から監督代行を務めた橋上秀樹氏は、11月1日付で編成本部長代理(プロスカウト担当)に就任します。

なお、李承燁氏、實松一成氏、矢野謙次氏の退任は球団から発表されています。

イチローさんが語った期待

就任発表を受け、米大リーグのマリナーズで活躍したイチローさん(53)が10月23日、シアトルで共同通信の取材に応じました。

「監督人事でこれだけ盛り上がるのは松井秀喜以外いない」 イチローさんの発言(共同通信の報道より)

イチローさんは今回の就任を、覚悟を感じさせる決断だと評しました。松井監督を軸に、これからの日本プロ野球が形づくられていく。そんなイメージまで抱いたと話しています。

2人は、イチローさんが率いる「KOBE CHIBEN」が高校野球女子選抜と戦う試合で交流を深めてきました。松井監督は2024年からこの試合に参加しています。イチローさんは松井監督について、ジャイアンツの重厚感、品格、伝統をいつも心に置いて行動している人だと語りました。

プロとしての姿勢や価値観も重なるといいます。観客からどう見られているかを大切にする点は、松井監督も自分も同じだという話でした。また、巨人には規律正しく品格のある集団であってほしいと注文もつけ、東京ドームに足を運んで見たくなる人事だとも述べています。

監督としての第一歩

引退後も松井氏は、春季キャンプで臨時コーチを務めるなど古巣との関わりを続けてきました。ただ、チームを指揮するのは今回が初めてです。

ヤンキース時代の恩師にあたる元監督のジョー・トーリ氏は、新監督に「自分らしくあればいい」とエールを送ったと報じられています。

契約は3年。選手として日米の頂点を経験した人物が、どのようなチームをつくっていくのか。来季の開幕を、野球ファンとして楽しみに待ちたいと思います。

本コラムは2026年10月31日時点の報道・公式記録(コーチ陣は10月30日発表分)をもとに作成しています。会見での発言は報道各社により表現が異なる場合があるため、要旨または短い引用のみを掲載しています。